2007年09月02日

太宰治「チャンス」

心に色慾の無い時は、凄いほどの美人と膝頭を接し合って四時間も坐っていながら、それに気がつかない事もあるのだ。


 よく列車などで、向い合せに坐った女性と「ひょんな事」から恋愛関係におちいったなど、ばからしい話を聞くが、「ひょんな事」も「ふとした事」もありやしない。はじめから、そのつもりで両方が虎視眈々、何か「きっかけ」を作ろうとしてあがきもがいた揚句の果の、ぎごちないぶざまな小細工に違いないのだ。心がそのところにあらざれば、脚がさわったって頬がふれたって、それが「恋愛」の「きっかけ」などになる筈は無いのだ。かつて私は新宿から甲府まで四時間汽車に乗り、甲府で下車しようとして立ち上り、私と向い合せに凄い美人が坐っていたのにはじめて気がつき、驚いた事がある。心に色慾の無い時は、凄いほどの美人と膝頭を接し合って四時間も坐っていながら、それに気がつかない事もあるのだ。いや、本当にこれは、事実談なのである。
[初出]『芸術』昭21年7月付発行

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2007年01月29日

太宰治「チャンス」

片恋というものこそ常に恋の最高の姿である。


 ただもう「ふとした事」で恋愛が成立するものとしたら、それは実に卑猥(ひわい)な世相になってしまうであろう。恋愛は意志に依るべきである。恋愛チャンス説は、淫乱(いんらん)に近い。それではもう一つの、何のチャンスも無かったのに、十年間の恋をし続け得た経験とはどんなものであるかと読者にたずねられたならば、私は次のように答えるであろう。それは、片恋というものであって、そうして、片恋というものこそ常に恋の最高の姿である。
 庭訓(ていきん)。恋愛に限らず、人生すべてチャンスに乗ずるのは、げびた事である。
[初出]『芸術』昭21年7月付発行

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2006年07月22日

太宰治「チャンス」

少くとも恋愛は、チャンスでないと思う。私はそれを、意志だと思う。


 人生はチャンスだ。結婚もチャンスだ。恋愛もチャンスだ。と、したり顔して教える苦労人が多いけれども、私は、そうでないと思う。私は別段、れいの唯物論的弁証法に媚(こ)びるわけではないが、少くとも恋愛は、チャンスでないと思う。私はそれを、意志だと思う。
 しからば、恋愛とは何か。私は言う。それは非常に恥かしいものである。親子の間の愛情とか何とか、そんなものとはまるで違うものである。
[初出]『芸術』昭21年7月付発行

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