2008年09月21日

太宰治「如是我聞」

芸術に於ては、親分も子分も、また友人さえ、無いもののように私には思われる。


 おけらというものがある。その人を尊敬し、かばい、その人の悪口を言う者をののしり殴ることによって、自身の、世の中に於ける地位とかいうものを危うく保とうと汗を流して懸命になっている一群のものの謂(いい)である。最も下劣なものである。それを、男らしい「正義」かと思って自己満足しているものが大半である。国定忠治の映画の影響かも知れない。
 真の正義とは、親分も無し、子分も無し、そうして自身も弱くて、何処かに収容せられてしまう姿に於て認められる。重ね重ね言うようだが、芸術に於ては、親分も子分も、また友人さえ、無いもののように私には思われる。
[初出]『新潮』昭23年3〜7月号

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2008年02月14日

太宰治「如是我聞」

隠者の装いをしていながら、周囲がつねに賑(にぎ)やかでなかったならば、さいわいである。


 君たちには何も解らず、それの解らぬ自分を、自慢にさえしているようだ。そんな芸術家があるだろうか。知っているものは世知だけで、思想もなにもチンプンカンプン。開(あ)いた口がふさがらぬとはこのことである。ただ、ひとの物腰だけで、ひとを判断しようとしている。下品とはそのことである。君の文学には、どだい、何の伝統もない。チェホフ? 冗談はやめてくれ。何にも読んでやしないじゃないか。本を読まないということは、そのひとが孤独でないという証拠である。隠者の装いをしていながら、周囲がつねに賑(にぎ)やかでなかったならば、さいわいである。その文学は、伝統を打ち破ったとも思われず、つまり、子供の読物を、いい年をして大えばりで書いて、調子に乗って来たひとのようにさえ思われる。しかし、アンデルセンの「あひるの子」ほどの「天才の作品」も、一つもないようだ。そうして、ただ、えばるのである。腕力の強いガキ大将、お山の大将、乃木大将。
[初出]『新潮』昭23年3〜7月号

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2007年10月14日

太宰治「如是我聞」

頑固とかいう親爺が、ひとりいると、その家族たちは、みな不幸の溜息をもらしているものだ。


 頑固。彼は、それを美徳だと思っているらしい。それは、狡猾である。あわよくば、と思っているに過ぎない。いろいろ打算もあることだろう。それだから、嫌になるのだ。倒さなければならないと思うのだ。頑固とかいう親爺が、ひとりいると、その家族たちは、みな不幸の溜息をもらしているものだ。気取りを止めよ。私のことを「いやなポーズがあって、どうもいい点が見つからないね」とか言っていたが、それは、おまえの、もはや石膏のギブスみたいに固定している馬鹿なポーズのせいなのだ。
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2007年07月29日

太宰治「如是我聞」

はりきって、ものをいうということは無神経の証拠であって、かつまた、人の神経をも全く問題にしていない状態をさしていうのである。


 或る「老大家」は、私の作品をとぼけていていやだと言っているそうだが、その「老大家」の作品は、何だ。正直を誇っているのか。何を誇っているのか。その「老大家」は、たいへん男振りが自慢らしく、いつかその人の選集を開いてみたら、ものの見事に横顔のお写真、しかもいささかも照れていない。まるで無神経な人だと思った。
 あの人にとぼけるという印象をあたえたのは、それは、私のアンニュイかも知れないが、しかし、その人のはりきり方には私のほうも、辟易(へきえき)せざるを得ないのである。
 はりきって、ものをいうということは無神経の証拠であって、かつまた、人の神経をも全く問題にしていない状態をさしていうのである。
 デリカシィ(こういう言葉は、さすがに照れくさいけれども)そんなものを持っていない人が、どれだけ御自身お気がつかなくても、他人を深く痛み傷つけているかわからないものである。
[初出]『新潮』昭23年3〜7月号

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2007年04月21日

太宰治「如是我聞」

人生とは、ただ、人と争うことであって、その暇々に、私たちは、何かおいしいものを食べなければいけないのである。


 人生とは、(私は確信を以て、それだけは言えるのであるが、苦しい場所である。生れて来たのが不幸の始まりである。)ただ、人と争うことであって、その暇々に、私たちは、何かおいしいものを食べなければいけないのである。
 ためになる。
 それが何だ。おいしいものを、所謂「ために」ならなくても、味わなければ、何処に私たちの生きている証拠があるのだろう。おいしいものは、味わなければいけない。味うべきである。しかし、いままでの所謂「老大家」の差し出す料理に、何一つ私は、おいしいと感じなかった。
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2006年12月22日

太宰治「如是我聞」

芸術は試合でないのである。奉仕である。読むものをして傷つけまいとする奉仕である。


 これを書き終えたとき、私は偶然に、ある雑誌の座談会の速記録を読んだ。それによると、志賀直哉という人が、「二、三日前に太宰君の『犯人』とかいうのを読んだけれども、実につまらないと思ったね。始めからわかっているんだから、しまいを読まなくたって落ちはわかっているし……」と、おっしゃって、いや、言っていることになっているが、(しかし、座談会の速記録、或いは、インタヴィユは、そのご本人に覚えのないことが多いものである。いい加減なものであるから、それを取り上げるのはどうかと思うけれども、志賀という個人に対してでなく、そういう言葉に対して、少し言い返したいのである)作品の最後の一行に於て読者に背負い投げを食わせるのは、あまりいい味のものでもなかろう。所謂「落ち」を、ひた隠しに隠して、にゅっと出る、それを、並々ならぬ才能と見做(みな)す先輩はあわれむべき哉、芸術は試合でないのである。奉仕である。読むものをして傷つけまいとする奉仕である。けれども、傷つけられて喜ぶ変態者も多いようだからかなわぬ。あの座談会の速記録が志賀直哉という人の言葉そのままでないにしても、もしそれに似たようなことを言ったとしたなら、それはあの老人の自己破産である。いい気なものだね。うぬぼれ鏡というものが、おまえの家にもあるようだね。「落ち」を避けて、しかし、その暗示と興奮で書いて来たのはおまえじゃないか。
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2006年08月06日

太宰治「如是我聞」

本を読まないということは、そのひとが孤独でないという証拠である。


 君たちには何も解らず、それの解らぬ自分を、自慢にさえしているようだ。そんな芸術家があるだろうか。知っているものは世知だけで、思想もなにもチンプンカンプン。開(あ)いた口がふさがらぬとはこのことである。ただ、ひとの物腰だけで、ひとを判断しようとしている。下品とはそのことである。君の文学には、どだい、何の伝統もない。チェホフ? 冗談はやめてくれ。何にも読んでやしないじゃないか。本を読まないということは、そのひとが孤独でないという証拠である。隠者の装いをしていながら、周囲がつねに賑(にぎ)やかでなかったならば、さいわいである。その文学は、伝統を打ち破ったとも思われず、つまり、子供の読物を、いい年をして大えばりで書いて、調子に乗って来たひとのようにさえ思われる。しかし、アンデルセンの「あひるの子」ほどの「天才の作品」も、一つもないようだ。そうして、ただ、えばるのである。腕力の強いガキ大将、お山の大将、乃木大将。
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