2013年07月26日

太宰治「女の決闘」

人は、念々と動く心の像すべてを真実と見做みなしてはいけません。


男は、あの決闘の時、女房を殺せ! と願いました。と同時に、決闘やめろ! 拳銃からりと投げ出して二人で笑え、と危く叫ぼうとしたのであります。人は、念々と動く心の像すべてを真実と見做みなしてはいけません。自分のものでも無い或る卑しい想念を、自分の生れつきの本性の如く誤って思い込み、悶々している気弱い人が、ずいぶん多い様子であります。卑しい願望が、ちらと胸に浮ぶことは、誰にだってあります。時々刻々、美醜さまざまの想念が、胸に浮んでは消え、浮んでは消えて、そうして人は生きています。
[初出]『月刊文章』昭15年1〜6月号

●ホームページ『太宰治論』はこちらです。


「女の決闘」を収録している本をamazonで買う
▼新ハムレット(新潮文庫)
太宰 治
4101006121

▼ろまん灯篭(角川文庫)
太宰 治
404109903X

▼太宰治全集〈3〉(ちくま文庫)
太宰 治
4480022538

▼太宰治全集〈4〉小説(3)(筑摩書房)
太宰 治
448071054X
posted by 北田信 at 11:37| 女の決闘 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年02月25日

太宰治「女の決闘」

女性にとって、現世の恋情が、こんなにも焼き焦げる程ひとすじなものとは、とても考えられぬ事でした。


 女房の遺書の、強烈な言葉を、ひとつひとつ書き写している間に、異様な恐怖に襲われた。背骨を雷に撃たれたような気が致しました。実人生の、暴力的な真剣さを、興覚めする程に明確に見せつけられたのであります。たかが女、と多少は軽蔑を以て接して来た、あの女房が、こんなにも恐ろしい、無茶なくらいの燃える祈念で生きていたとは、思いも及ばぬ事でした。女性にとって、現世の恋情が、こんなにも焼き焦げる程ひとすじなものとは、とても考えられぬ事でした。命も要らぬ、神も要らぬ、ただ、ひとりの男に対する恋情の完成だけを祈って、半狂乱で生きている女の姿を、彼は、いまはじめて明瞭に知る事が出来たのでした。
[初出]『月刊文章』昭15年1〜6月号

●ホームページ『太宰治論』はこちらです。


「女の決闘」を収録している本をamazonで買う
▼新ハムレット(新潮文庫)
太宰 治
4101006121

▼ろまん灯篭(角川文庫)
太宰 治
404109903X

▼太宰治全集〈3〉(ちくま文庫)
太宰 治
4480022538

▼太宰治全集〈4〉小説(3)(筑摩書房)
太宰 治
448071054X
posted by 北田信 at 22:21| 女の決闘 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年09月28日

太宰治「女の決闘」

薄情なのは、世間の涙もろい人たちの間にかえって多いのであります。


 これは、私の文章ではありません。辰野隆先生訳、仏人リイル・アダン氏の小話であります。この短い実話を、もう一度繰りかえして読んでみて下さい。ゆっくり読んでみて下さい。薄情なのは、世間の涙もろい人たちの間にかえって多いのであります。芸術家は、めったに泣かないけれども、ひそかに心臓を破って居ります。人の悲劇を目前にして、目が、耳が、手が冷いけれども、胸中の血は、再び旧にかえらぬ程に激しく騒いでいます。芸術家は、決してサタンではありません。かの女房の卑劣な亭主も、こう考えて来ると、あながち非難するにも及ばなくなったようであります。眼は冷く、女房の殺人の現場を眺め、手は平然とそれを描写しながらも、心は、なかなか悲愁断腸のものが在ったのではないでしょうか。
[初出]『月刊文章』昭15年1〜6月号

●ホームページ『太宰治論』はこちらです。


「女の決闘」を収録している本をamazonで買う
▼新ハムレット(新潮文庫)
太宰 治
4101006121

▼ろまん灯篭(角川文庫)
太宰 治
404109903X

▼太宰治全集〈3〉(ちくま文庫)
太宰 治
4480022538

▼太宰治全集〈4〉小説(3)(筑摩書房)
太宰 治
448071054X
posted by 北田信 at 09:18| 女の決闘 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年11月16日

太宰治「女の決闘」

書き出しの巧いというのは、その作者の「親切」であります。


 いちども名前を聞いたことの無いような原作者が、ずいぶん多いですね。けれども、そんなことに頓着(とんじゃく)せず、めくらめっぽう読んで行っても、みんなそれぞれ面白いのです。みんな、書き出しが、うまい。書き出しの巧いというのは、その作者の「親切」であります。また、そんな親切な作者の作品ばかり選んで飜訳したのは、訳者、鴎外の親切であります。鴎外自身の小説だって、みんな書き出しが巧いですものね。すらすら読みいいように書いて在ります。ずいぶん読者に親切で、愛情持っていた人だと思います。
[初出]『月刊文章』昭15年1〜6月号

●ホームページ『太宰治論』はこちらです。


「女の決闘」を収録している本をamazonで買う
▼新ハムレット(新潮文庫)
太宰 治
4101006121

▼ろまん灯篭(角川文庫)
太宰 治
404109903X

▼太宰治全集〈3〉(ちくま文庫)
太宰 治
4480022538

▼太宰治全集〈4〉小説(3)(筑摩書房)
太宰 治
448071054X
posted by 北田信 at 21:00| 女の決闘 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年07月19日

太宰治「女の決闘」

男の作家の創造した女性は、所詮、その作家の不思議な女装の姿である。


 男の作家たちが空想に拠(よ)って創造した女性を見て、女は、これこそ真の私たちの姿だ、と愚かしく夢中になって、その嘘の女性の型に、むりやり自分を押し込めようとするのだが、悲しい哉(かな)、自分は胴が長すぎて、脚が短い。要らない脂肪が多過ぎる。それでも、自分は、ご存じ無い。実に滑稽奇怪の形で、しゃなりしゃなりと歩いている。男の作家の創造した女性は、所詮、その作家の不思議な女装の姿である。女では無いのだ。どこかに男の「精神」が在る。
[初出]『月刊文章』昭15年1〜6月号

●ホームページ『太宰治論』はこちらです。


「女の決闘」を収録している本をamazonで買う
▼新ハムレット(新潮文庫)
太宰 治
4101006121

▼ろまん灯篭(角川文庫)
太宰 治
404109903X

▼太宰治全集〈3〉(ちくま文庫)
太宰 治
4480022538

▼太宰治全集〈4〉小説(3)(筑摩書房)
太宰 治
448071054X
posted by 北田信 at 18:44| 女の決闘 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年04月03日

太宰治「女の決闘」

知らなかった。女というものは、こんなにも、せっぱつまった祈念を以て生きているものなのか。


 所謂(いわゆる)、女特有の感覚は、そこには何も無い。女で無ければ出来ぬ表現も、何も無い。男にはとてもわからぬ心理なぞは勿論、在るわけは無い。もともと男の真似なのだ。女は、やっぱり駄目なものだ、というのが此の中年の芸術家の動かぬ想念であったのであります。けれども、いま、自身の女房の愚かではあるが、強烈のそれこそ火を吐くほどの恋の主張を、一字一字書き写しているうちに、彼は、これまで全く知らずにいた女の心理を、いや、女の生理、と言い直したほうがいいかも知れぬくらいに、なまぐさく、また可憐な一筋の思いを、一糸纏(まと)わぬ素はだかの姿で見てしまったような気がして来たのであります。知らなかった。女というものは、こんなにも、せっぱつまった祈念を以て生きているものなのか。愚かには違い無いが、けれども、此の熱狂的に一直線の希求には、何か笑えないものが在る。恐ろしいものが在る。女は玩具、アスパラガス、花園、そんな安易なものでは無かった。この愚直の強さは、かえって神と同列だ。人間でない部分が在る、と彼は、真実、驚倒した。
[初出]『月刊文章』昭15年1〜6月号

●ホームページ『太宰治論』はこちらです。


「女の決闘」を収録している本をamazonで買う
▼新ハムレット(新潮文庫)
太宰 治
4101006121

▼ろまん灯篭(角川文庫)
太宰 治
404109903X

▼太宰治全集〈3〉(ちくま文庫)
太宰 治
4480022538

▼太宰治全集〈4〉小説(3)(筑摩書房)
太宰 治
448071054X
posted by 北田信 at 21:19| 女の決闘 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年12月29日

太宰治「女の決闘」

時々刻々、美醜さまざまの想念が、胸に浮んでは消え、浮んでは消えて、そうして人は生きています。


 人は、念々と動く心の像すべてを真実と見做(みな)してはいけません。自分のものでも無い或る卑しい想念を、自分の生れつきの本性の如く誤って思い込み、悶々している気弱い人が、ずいぶん多い様子であります。卑しい願望が、ちらと胸に浮ぶことは、誰にだってあります。時々刻々、美醜さまざまの想念が、胸に浮んでは消え、浮んでは消えて、そうして人は生きています。その場合に、醜いものだけを正体として信じ、美しい願望も人間には在るという事を忘れているのは、間違いであります。念々と動く心の像は、すべて「事実」として存在はしても、けれども、それを「真実」として指摘するのは、間違いなのであります。真実は、常に一つではありませんか。他は、すべて信じなくていいのです。忘れていていいのです。多くの浮遊の事実の中から、たった一つの真実を拾い出して、あの芸術家は、権威を以(もっ)て答えたのです。検事も、それを信じました。二人共に、真実を愛し、真実を触知し得る程の立派な人物であったのでしょう。
[初出]『月刊文章』昭15年1〜6月号

●ホームページ『太宰治論』はこちらです。


「女の決闘」を収録している本をamazonで買う
▼新ハムレット(新潮文庫)
太宰 治
4101006121

▼ろまん灯篭(角川文庫)
太宰 治
404109903X

▼太宰治全集〈3〉(ちくま文庫)
太宰 治
4480022538

▼太宰治全集〈4〉小説(3)(筑摩書房)
太宰 治
448071054X
posted by 北田信 at 18:43| 女の決闘 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年08月26日

太宰治「女の決闘」

女は、恋をすれば、それっきりです。


 私の知合いの中に、四十歳の牧師さんがひとり居ります。生れつき優しい人で、聖書に就いての研究も、かなり深いようであります。みだりに神の名を口にせず、私のような悪徳者のところへも度々たずねて来てくれて、私が、その人の前で酒を呑み、大いに酔っても、べつに叱りも致しません。私は教会は、きらいでありますが、でも、この人のお説教は、度々聞きにまいります。先日、その牧師さんが、苺(いちご)の苗をどっさり持って来てくれて、私の家の狭い庭に、ご自身でさっさと植えてしまいました。その後で、私は、この牧師さんに、れいの女房の遺書を読ませて、その感想を問いただしました。
「あなたなら、この女房に、なんと答えますか。この牧師さんは、たいへん軽蔑されてやっつけられているようですが、これは、これでいいのでしょうか。あなたは、この遺書をどう思います。」
 牧師さんは顔を赤くして笑い、やがて笑いを収め、澄んだ眼で私をまっすぐに見ながら、
女は、恋をすれば、それっきりです。ただ、見ているより他はありません。」
 私たちは、きまり悪げに微笑(ほほえ)みました。
[初出]『月刊文章』昭15年1〜6月号

●ホームページ『太宰治論』はこちらです。


「女の決闘」を収録している本をamazonで買う
▼新ハムレット(新潮文庫)
太宰 治
4101006121

▼ろまん灯篭(角川文庫)
太宰 治
404109903X

▼太宰治全集〈3〉(ちくま文庫)
太宰 治
4480022538

▼太宰治全集〈4〉小説(3)(筑摩書房)
太宰 治
448071054X
posted by 北田信 at 00:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 女の決闘 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。